大津市中学校のいじめ事件、話題が大きくなっている。マスコミの過剰報道には気をつけないといけないけど、マスコミがいないとこの事件はまさに隠蔽されてしまうわけだから、マスコミの力も必要だし、何より民の力が一番必要だ。
いじめ行為は絶対にあってはならないことだけど、世の中には必ず対極の関係があるもので、どのようなことでもなくなることはない。悪がなくなれば警察や裁判所はいらなくなる。悪があるから玄関に鍵をかける。悪があるから人間は常に気をつけて毎日を送る。
ある時に、なんらかを基点として、いじめる側といじめられる側の関係がそこに成り立ってしまい、それが双方の毎日の出来事になってしまう。いじめに無関係な人たちが知らない間にだ。
いじめられる側の毎日がどんなに辛いものか想像すればわかるだろう。しかし、いじめる側はそんなことはお構いなしだ。いじめ行為を行う者は、いじめ行為を毎日の日課にする。彼らにしてみればそれは大きな楽しみのひとつなのだ。
いじめを行う者は、よほど心が荒んでいるんだろう。よほどやる事がないんだろう。よほど悲しい人間なんだろう。いじめを行う者が最も弱い人間なんだということを本人たちは知らなければならない。本人たちがわからないなら、誰かが教えてあげなければいけない。
一人でいじめ行為を行う者はいない。大抵数人で1人の者にいじめ行為を行う。言いたいことがあるなら1人で言えばいい。でもそれが出来ないからつるんで1人の者を攻撃する。いじめ行為を行う者は、1人では何も出来ない弱者なんだ。
子供の社会でも、大人の社会でも、意地悪な人は必ずいる。「誰それの何が気に食わない」、「誰それの何がむかつく」、なんでそんなに他人のことが気になるのか。自分自身に、やることや、やりたいことがあったら、そうそう他人のことなど気にならないはずだ。
誰だってちょっとくらいいじめに近い悪い感情を持っている。でもそれを実行に移してはいけない。そしてそれを1人でやるのが嫌だからと、他人を仲間にして巻き込むのは卑怯な行為だ。いじめを行うメンバーなんて最低だ。サッカーのメンバーとか、バンドのメンバーとか、そんなメンバーを集めればいいだろう。よりによってなんでいじめを行うメンバーなんか作るんだ。
いじめは今もどこかで行われている。いじめ行為はなくならない。なぜなら、人間の心には必ず悪があるからだ。いじめ行為を行う子供を、その親が一番に躾けなければならないが、親がしっかりしていれば子供はいじめ行為など行わないだろう。だからやはり学校の力が大きく問われる。責任をすべて学校に押し付けてはいけないが、学校がいじめの事実を隠蔽してしまっては誰が被害者を助けることが出来ようか。
一番大切なのは社会の力だ。事が起こってからマスコミが報道し、世間が騒いで警察が動く。こんなのは本末転倒だ。後からいくら事実を解明しても自殺した子供の命は戻らない。マスコミが報道をやめればまたみんな忘れてしまう。また数年後に同じような報道が繰り返される。これではいじめ問題はいつまで経っても解決されない。
国がいじめ行為に対して厳しい処置を下すべきだ。それを元に、社会全体がいじめ行為に対してもっと意識を持てばいい。社会が人に対して無関心になってはいけない。社会があるから自分という個人がいることを忘れてはいけない。
日本という国は、あまりに人に対して無関心ではないか。産業のことばかり考えていないか。いくら技術や産業が発達しても、社会力は上がらない。人間力は上がらない。
テレビやインターネット、ゲームを中心に毎日を送っている国民があまりに多くないか。そうではなくとも、毎日受験勉強や仕事だけに終始してしまってはいないか。それでは良い社会が形成されるはずはない。日本国の目的は何か。人間産業ロボットを大量生産することか。人間はロボットではない。日本には正しい教育がない。
人間はいつまで経っても人間だ。もっと人間に目を向けよう。もっと社会に目を向けよう。社会を良くすることで、いじめ行為はきっと少なくなるはずだ。みんなで助け合おう。それが人間にとって最も大切なことだから。大人がそれを子供に教えてあげなければならない。 そして子供たちに明るい未来を作ってあげよう。それが自分たち大人の役割りじゃないか。